輪廻転生の新説
この世の中、皆さんが考えてることというと、自分が死んだあとはそれで終わりだというふうに考えてしまうのが普通ですが、ここで言いたいのはそうではなく、自分は続くということをいいたいのです。
ほんなばかなですが、われわれが死んだという状態と死んでいないという状態の違いは生物学的に心臓が止まっているかいないか、でしょうけど私は意識があるかないかを重視しています。
この意識、なぜ大切なのかというとわれわれが生きているということを感じさせてくれるからです。
生を再確認させてくれる存在。
この機能がなければ自分が生きていても、他人が生きていると判断しても自分が生きていると判断できない。矛盾である。生きているとは自分が自分を認識できる状態に戻れる予定か、戻れる可能性があるなら生きているといえるかもしれない。なければ自己の存在を肯定できない存在なので、生物であっても人間ではない。
この意識というところから世界を見ることで分かることがある。死ぬと意識がなくなるとということ。
でも永遠に意識がなくなるのだろうか、その世界を想像して欲しい。
永遠に沈黙した世界が流れてもおかしくないが、そうではなく現在われわれはこうしている。
この世界が未来永劫続くなら今は何年目なんだ?
そうではなく、いまわれわれが生きているのは偶然ではなく必然である。
意識の性質がそれを読み解く。
意識の性質とは今ここに唯一の存在であることです。
今ここで世界を感じている存在は自分しかいない。
しかし、他人にも自分は存在するだろう、その他人の自分はなんなのか?
時間軸がずれているのだ。
時間は本来、存在しない。
意識が秩序づけているため、時間を生み出した。
この世はすでに時間が過去から未来まですでに存在している。
意識をもつ存在だからそれを見れないだけ。
だから、死んでも過去も未来もないので、すでに死んだ自分は存在していて、でも生まれた自分も存在している。
意識が自分が生きていることを感じさせてくれる。
常に繰り返している、自分の人生を。
そのたびに新鮮な気持ちで人生と向き合っている。
わたしはもう一つ踏み込みたい。
すでに全ての世界は存在しているということだが、
それでも意識は新鮮な気持ちで今を映す存在である。
共感覚、ご存知か。
人類、われわれは皆違う生き物であるが、人類になって進化し、意識をもち生を感じられるようになった。
この意識はわれわれ共通する感覚である。
そして、世界に一つしかない。
われわれは違う生き物だと思っていたが、世界は時間がないということと意識を考えると、同じではないかと思わないだろうか。
意識はいつも一人である。
でもわれわれはたくさん存在している。
時間はない。
もしかしたら、人類になってこの意識を発見できることでわれわれは個人を超えた考え方をみにつけられ、
さらに次の次元の存在になれるのではなかろうか。