無とは
死のイメージは、睡眠状態から覚醒にいたることのない状態である。世界観は無というより、ほんとうに存在しないものである。
無とはどういうものであろうか?存在しないものを言葉で表すことで、なにか不自然さが生じることはないだろうか?
有るものが無くなったとき、無という言葉をつかう。これはもともと有ったものと対比して使う言葉だ。
有ったものが無くなる、1が0になる。そういう状態を表す表現が無であり、死というものも同様、生の状態から死の状態になれば、無になる。そう考えてしまいがちである。
しかし、わたしがいいたいのは、その有ったものに固執しない無である。空箱の中を覗いたときに何も入っていない状態も無というならば、それである。もともとなにもなかったのである。死とはそういう状態のことをいう。
そうはいっても生の状態から死の状態になれば、もともとの生であった状態をどうしても意識してしまう。しかし、死んだ状態であるなら意識していた自分もいなくなるので生の状態を意識できなくなる。だから、死ぬことで意識するもの、すなわち世界をみているものがいなくなるのだ。
これは、たとえば、有ったものが無くなるとき、有ったという原因が必要になる。有ったという記憶とか過去が必要になるのだ。それによって、喪失感、無くなったということが確認できる。
しかし、死ぬ状態は特殊で、その有ったいう記憶や過去をもつ自身がいなくなることでもともと無かったということになる。
死とは喪失感があるものであるが、もともと有ったと考えるからで、有ったという執着を捨てて、正しいこころで死の状態を感じれば本当の死の状態を感じられるはずである。それは、恐れることのないものであり、喪失感も感じない。